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2015.04.10

【スペシャル対談】小山万里子(ポリオの会代表)×渋谷健司(JIGH代表理事)(2)ポリオに苦しむ人たちは日本国内にもいる

「ポリオに苦しむ人たちは日本国内にもいる」

【小山万里子氏プロフィール】  【渋谷健司プロフィール】

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JIGH代表理事 渋谷健司

前回までの記事:スペシャル対談(1)「医師も知らないポリオという病気 」

渋谷:新聞への投稿をきっかけにポストポリオ症候群の方々同士の素晴らしい出会いがあったということでしたが、小山さんが感じられたような痛みや辛さを感じていらっしゃる方が、全国にまだまだたくさんいらっしゃる。ポリオはまだ終わっていないとおっしゃる意味がよく分かります。ちなみに、その投書欄から活動され始められたポリオの会ですが、現在は何名ぐらいで活動されているんでしょうか。

小山:会員は550名程度です。団塊の世代が多いですが、3歳から90代まで幅広い年代の会員がいます。

渋谷:3歳ということは、経口生ワクチンによって感染した患者さんですか。

小山:そうです。

渋谷:先ほど、ポリオがまだ終わっていない理由の2つめとして、1981年以降も続く、経口生ワクチンによるポリオ発症の患者さんがいらっしゃることを挙げられていました。

経口生ワクチンというのは、毒性は弱いけれども生きているウイルスを接種するということで、ごく稀にポリオを発症したのと同じような副反応が出る可能性があるということですね。また、子供が予防接種を受けた後、1カ月は便の中にウイルスが排出されるので、おむつ替えなどの際に、免疫がない周囲の人に二次感染することもある。

一方で、不活化ワクチンではウイルスが死んでいるので、予防接種によってポリオのような症状が出たり、二次感染が出たりすることはありません。より安全なワクチンなので、日本でも不活化ワクチンへの切り替えが必要だと小山さんたちポリオの会の皆さんも活動を行っていらっしゃいました。

小山:はい、生ワクチンによる感染の最後のケースは、2012年8月に発症した赤ちゃんです。しかも、その赤ちゃんは保育園での二次感染でした。それを聞いたときには、本当に悔しかったです。

渋谷:日本では、ポリオの会の皆さんのご尽力もあって、2012年9月に定期接種が経口生ワクチンから不活化ワクチンへの切り替えが行われましたが、本当にその直前にも起きてしまったのですね。

小山:はい。その最後のケース以外にも、ここ数年のケースで言えば、私が知っているだけで3歳の赤ちゃんで2人います。他にも1人が認定申請中ですが、他にもいる可能性は十分あります。

渋谷:ポリオと気づいていない患者さんということですね。

小山:はい、先程も申し上げましたけれども、「ポリオは終わった病気」という認識が医師の間でも一般的ですし、いまでは日本国内の多くの医師がポリオの診断をできないのです。ですから、本当はポリオなのに、ポリオと診断されていないケースも少なからずあるだろうとは思います。

渋谷:本当にもう少し早く不活化ワクチンへの切り替えができていればと悔やまれますが、日本でのポリオの不活化ワクチン導入は、他の先進国に比べて非常に遅かったですね。

小山:はい。先進国における導入という意味では、日本が最後だと思います。ノルウェーやスウェーデンでは、50年以上前に不活化ワクチンが採用されていますし、その他の先進国でも1990年代後半から切り替えが進んでいきましたので、日本は他の先進国に比べて10年から20年遅れていました。

渋谷:どうして日本ではそんなに遅れてしまったのでしょうか。

小山:実は、日本では50年代に国産の不活化ワクチンがつくられていたらしいんです。

渋谷:ええっ、そうなんですか。驚きです。

小山:はい。その時は生産体制が整わず大変高価で、生ワクチン緊急輸入で流行がおさまったことで製造は中止されました。その後、米国が不活化ワクチンに切り替えた2000年に、日本でも治験が始まっていたのですが、でも、治験の段階で問題があったようで、結局、世に出なかったのです。そして、60年にポリオの大きな流行がありました。そのときには全国で5,606名もの届け出がありました。特にひどかったのは、北海道ですがそのときの記録を河又松次郎さんという写真家が写真集として残されていますので、よろしければ先生もご覧ください。

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河又松次郎写真集「小児マヒとたたかう母と子」(著作権:ポリオの会)

渋谷:(写真集を見ながら)これは大変貴重な記録ですね。こういう状況だったから、1961年に経口生ワクチンの緊急輸入がされたわけですね。

小山:はい、そうです。その当時から、不活化ワクチンというものはあったのですが、不活化ワクチンは費用も高く、絶対数が不足していました。ですから、費用が安く、また、口から飲むことで簡単に接種できて、僅かなリスクはあるものの、流行を止める効果が高い経口生ワクチンの輸入を求める声があがったんです。不活化ワクチンへの切り替えのときもそうでしたが、このときも保護者や国民の声が、政府を大きく後押ししました。

渋谷:なるほど。政府の対応が遅れる中で、保護者や国民の声が政府を動かした。

小山:そうなんです。そうした国民の声に押される形で、1961年6月に旧ソ連とカナダから経口ポリオワクチンが緊急輸入され、全国一斉に集団接種が行われました。ここからのスピードは素晴らしく、6月に輸入して、7月末から8月末にかけての1ヶ月の間に1,000万人を超える子どもたちに予防接種が行われました。

渋谷: その結果、ポリオ患者は激減したわけですね。

小山:はい。1960年には5,606人いたポリオ患者が、1961年には2,436人、1962年には289人、1963年には139人という形です。

渋谷:まさに激減というにふさわしいですね。経口生ワクチンの緊急輸入からの集団接種が、大成功したと。

小山:そうです。この大成功自体は大変素晴らしく、この経口生ワクチンの集団接種が始まったからこそ、日本国内で自然発生のポリオがなくなったわけです。でも、問題は、ポリオの流行がおさまったその後50年間も、経口生ワクチンの接種が続いてしまったことです。

渋谷:流行しているときと流行がおさまってからでは、取るべき対策が違うわけですね。

小山:おっしゃる通りです。経口生ワクチンは、コストも小さく、接種もしやすいですから、1960年代の日本のようにお金があまりなく、医療環境もそれほど整っていない状況においては、圧倒的に大きな効果をあげます。ただ、経口生ワクチンにはポリオにかかってしまうリスクが少なからずあります。ですから、いまの日本のように経済的にも成長して、医療環境もあり、ポリオが流行していない国において、不活化ワクチンがあるのに経口生ワクチンを接種し続けることは、とらなくても良いリスクをとっていることになります。

渋谷:流行時には小さなリスクで大きな効果を得られますが、流行がおさまってくると得られる効果が小さくなる。そうすると相対的に、リスクが大きくなってくると言うことですね。そのリスクがない不活化ワクチンという道があるのに、それを採用しないのは、合理的ではないですね。

小山:はい。私も生ワクチンで防げる病気は防ぐべきだと考えています。生ワクチンを否定するのではなく、役目が終わったので、不活化に切り替えるべきだと主張してきました。とにかく、不活化への切り替えをお願いするときにも、冷静に、科学的に正しいことだけを言うようにしていました。

渋谷:非常に重要な姿勢ですね。そういう姿勢だったからこそ国も最終的に動いたんだと思います。

小山:ありがとうございます。不活化ワクチンへの切り替えを求める活動が本格的に始まったのは、2010年に生ワクチンの二次感染が神戸で出たことです。それをきっかけに署名活動が始まりました。

渋谷:署名以外の活動はどういったものだったのでしょうか。

小山:不活化ワクチンを個人輸入して打ってくれる小児科の先生方が何人かいらっしゃって、それをポリオの会のホームページに掲載していました。それは、大変な反響がありましたね。ひっきりなしに問い合わせが来るような状況でした。ただ、不活化ワクチンを打ってくれる医療機関が余りにも少なかったので、遠征をすすめるしかない状況でしたね。北九州の方には韓国に行ってくれと言う状況だったんです。

渋谷:日本に住んでいるのに、韓国に、ですか。これだけ医療環境が整った先進国にありながら、安全なワクチンのために海外を勧めなければいけないというのは、本当に残念ですね。こうした活動が大きく前に動いたきっかけというのはあったのでしょうか。

小山:そうですね。神奈川県が国に先駆けて不活化ワクチンの導入をしてくれたのが大きかったですね。黒岩知事の決断の影響はとても大きかったと思います。2011年10月に神奈川県の不活化ワクチン導入が発表されて、マスコミも大きく報道しました。知事の決断によって世論が大きく動いた実感があります。

次回、スペシャル対談(3)「日本で再びポリオの流行が起こらないために、今、すべきこと」に続く